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『ヘッドライン』は【すずめのお話】です。
1)三林京子=桂すずめ、初の独演会 2)熱心な指導が実ったんやろなあ 桂米朝 3)もっともっと落語せなアカンで 桂米朝
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■三林京子=桂すずめ、初の独演会 伝統の3席に挑戦 大阪で来月20日 【大阪】 落語家の桂すずめが初の独演会を、4月20日に大阪市北区のエルセラーン ホールで開く。女優三林京子として芝居やドラマでおなじみだが、桂米朝の弟 子となって15年の節目を迎えた。初めての一人3席に挑む。
「あっという間の15年でした。アカンたれで、1年に一つもネタをおろせ ていません。独演会なんておこがましい」と胸の内を明かす。もともと枝雀と 親しかった。京都・南座の芝居で米朝一門の噺家(はなしか)と共演したのが きっかけとなり、米朝の門をたたいた。
女優と二足のわらじをはいてみて、一人舞台としての落語の難しさを痛感さ せられた。「落語は三味線のない義太夫。誰かがいてくれる芝居の方が楽です よ」。高座に上がる機会も多く持てない。逃げ出したい気持ちはあるが、3席 かける米朝一門伝統の独演会を一度は開かなければと、「第一回」とは銘を打 たずに開催が決まった。
夫婦のきずなを描く「厩(うまや)火事」は、兄弟子ざこばの得意ネタ。「 女優としては苦手でやったことがない『かわいい女の人』を表現したい」と意 気込みを話す。ほかに「高倉狐(ぎつね)」「七度狐」をかけ、得意の日本舞 踊も披露するつもりだ。年下の兄弟子である宗助、親子ほど年齢の離れた同期 の歌之助、すずめが教授を務める大阪芸術大短大部を卒業した団治郎と、ゆか りの噺家が助演する。
落語と正面から向き合う大舞台となる。「1席でも大変なのに3席なんてど うなることか」と本音を隠さないが、噺家としての意地をどう見せてくれるか。
午後2時開演、3500円。米朝事務所(06・6365・8281)。
(篠塚健一) 朝日新聞 2013年03月26日
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■(米朝口まかせ)熱心な指導が実ったんやろなあ 桂米朝 【大阪】
スタジオに、ぎょうさん若い人が来てた。だれなんやろと思て見てたら、弟 子の桂すずめが教えてる大阪芸術大学短期大学部の学生たちやそうな。なんで も、この春の卒業公演を指導したんやて。
すずめは、三林京子と呼んだ方がずっと知られてるやろな。今は教授もして て、女優の仕事を断ってまで、若い学生たちが演じる時代劇の面倒をみたんや て。
「やってみて、なぜ世の中から時代劇が消えていくのかわかりました。カツ ラ、衣装……とにかくお金がかかるんですよ」。50人以上も出演し、2時間 近くの芝居になったそうな。熱心な指導が実ったんやろなあ、公演は大成功や ったらしい。
「ダレそうなところに歌を入れたのが正解でした。ミュージカルとまではい きませんけど、観(み)てた人からも『あっという間だった』と言ってもらえ て、なんとかいけたかなあと思ったんです」
この日、スタジオに来てたのは女子学生7人。鹿児島やら、広島やら、岩手 やら、全国各地から集まってるんやそうな。そのうち、3人が女優志望やとか。
「大ホールでの時代劇を学生時代に体験できたのは幸せであり、また不幸で もあると思います。幸せと言ったのは、大舞台に立てたこと。不幸と言ったの は、またやりたいと思ってもなかなかやれないこと。学校と世間とのギャップ は、あまりにも大きいのです」
すずめは芝居をさせるにあたって、まず挨拶(あいさつ)、そして立ち振る 舞い、歩き方……と教えていった。それは、どの職業についたとしても生きて くることやないかな。夢をかなえるための気構えをこんな風に熱っぽく話して た。
「どこでも舞台になる。たとえアルバイトをしていても、そこが自分の舞台 だと思えているかどうかです。アルバイトの世界で輝けない子が芸能界で輝け ますか」
若い人たちを育てるのは大変やろけど、やりがいを感じてるようや。学生に 囲まれて、私もちょっと若返った気がしたなあ。(談、題字も)
朝日新聞
2013年04月22日
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■(米朝口まかせ)もっともっと落語せなアカンで 桂米朝 【大阪】
女優、三林京子を「桂すずめ」という名前で弟子に取って、15年以上が 過ぎた。本人からそう聞かされて、そんなにたったのかと、私も驚いてしもた。
「落語がやりたい。落語の稽古をお願いします」。南座でのウチの一門の芝 居に出演してくれてた彼女が、三つ指をついて頼んできたんや。まずタタキ( 東の旅・発端)を覚えないかんと、彼女の目の前でやった。それを観(み)て た孫弟子たちは目を丸くしたな。当時、私は70歳を過ぎてた。見台を叩(た た)きながら旅ネタを喋(しゃべ)るなんて、もうでけへんと思てたんやろな あ。
「あの噺(はなし)には感情の起伏がないんです。役者のように悲しい、楽 しいという気持ちでしゃべるのとは違う。若いころから聴いてたらいいんでし ょうけど、本当に苦労しました」
覚えるのが難しいネタであるのには間違いない。固有名詞も確かにぎょうさ ん入ってるしなあ。でも、彼女がちゃんと覚えてきたのにはびっくりした。「 オバはんが覚えられるもんちゃうで」と言うたらしいけど、それは忘れてしも たなぁ。やがて、大阪のサンケイホールの大きな舞台でもタタキをやらせたん や。
芸名のすずめは、私が付けました。今の小米の前名やけど、かわいらしい名 前や。かなり迷うてたけど、やる気があるということで、弟子にしたんです。
「でも、すぐに後悔しました」と彼女は言う。
「楽屋で着物をたたむ時、高座を終えた後の師匠の襦袢(じゅばん)を手に 取ってビックリ。汗びっしょりなんです。えっ、こんなにしんどい仕事やった ん? 私はバカだった」
お客の前では涼しい顔をしてても、背中にはかなりの汗をかくもんなんや。 噺家の世界を深く知らずに足を踏み入れたんやなあ。
でも、この間、ざこばに稽古をつけてもろたという「厩(うまや)火事」を 聴いたが、なかなか堂に入ったもんになってた。初めての独演会もしたそうな 。これからやで。もっともっと落語せなアカンで。(談、題字も) 朝日新聞
2013年05月13日
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ケメコ通信です。澤田好宏です。
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